あなたは、あなた自身の主人として在れていますか?
あなたは学校や職場で苦手な人、嫌いな人に絡まれたとき、
「うわあ、嫌だなあ…」と感じて気分が落ち込みますか?
ゲームやガチャに熱中しすぎて
ついつい夜中までやってしまったり、課金し過ぎたりしたことはありますか?
かつての私は、私の"敵"を見ただけで気分が落ち込み、
"敵"が離れるとホッとするような生活を送っていました。
また、唯一の楽しみだった”娯楽”にのめり込み、
一晩でガチャに10万円もつぎ込んだこともありました。
私を操る主人は”私”ではなく、”敵”であったり”娯楽”だったのです。
本記事では私の主人を”私”に変えた話をさせていただきます。
(2分程度で読み終えられます)
幼い頃、あなたは健康診断などで注射されたとき、
泣き出してしまったことはありますか?
おそらく泣いたことがあると思います。
注射は痛いですからね。
でも今はどうでしょう?
注射されても、顔をしかめる程度です。泣き出すことはありません。
それどころか、好奇心の目で注射器の中に自分の血が流れ込む様を見るかもしれません。
注射の痛みは今も昔ももそんなに変わらないはずなのに、です。
なぜでしょうか?
それは、あなたが注射の痛みを感じたとき、泣き出すことを選ばないからです。
言い換えれば、自分の行動を選択できるからです。
自分の行動を選択できるのは、注射の痛みに対してだけではありません。
例えば以下が挙げられます。
- 美味しそうなデザートが目の前にあったとき、食べるか食べないのか。
- 夜ベッドに入ったとき、そのまま眠るのか、スマホをいじるのか。
- 嫌なことを言われて落ち込んだとき、気分を切り替えるのかずっと引きずるのか。
例を挙げればキリがありません。
多くの人が自覚していないだけで、
あなたには行動を選択する自由が常にあるのです。
もちろん、行動を選択しない自由も常にあります。
かつて、私はその自由を自覚していませんでした。
勉強して、ゲーム機で遊んで、寝る。
そんな生活を小学生~大学生まで続け、社会に出ました。
そして怒鳴られ、怯えながら仕事をする日々が始まりました。
「こんな生活はもう嫌だ!何とかならないか」
そう思っていたある日、行動を選択する自由があることを知りました。
そして同時に、自分が今まで選択してきたことに気づきました。
私はやりたいこと、得意なことを考えることすらせず、
ただ言われたとおりに勉強することを選択していました。
私は日がな一日娯楽に明け暮れることを選択していました。
頭ごなしに否定されてもそれを受け入れ、
帰宅してからもクヨクヨすることを選択していました。
自分の今の状況は、自分の責任によるものだったのです。
周囲の環境がどうであれ、最後に行動を選択したのは私だったのです。
ようやくその事実に気づいた私は、行動を選択する自由を自覚し、
"私"を私自身の主人に据えた生活を始めました。
- 多忙な状況に苛ついていたら、「あ、私は苛つく選択をしている!」と気付き、
- 仕事で失敗して落ち込んでいたら、「うーむ、落ち込む選択をしているな」と思い、
コーヒーを飲んで気分を静める選択をする。
気分転換にちょっとした仕事に取り掛かり、思考を切り替える選択をする。
面白いことに、そうやって今までずっと受け身だった自分を軌道修正していくと、
どんどん自分が主体的になっていきました。
とはいえ決して周囲の状況に無反応でいられるわけではありません。
落ち込みもするし、怒りもします。
しかし、選択する自由を自覚することを習慣化して以降、
それらに支配されることはなくなりました。
私は"私"の主人となったのです。
「でも自分の状況はもっと悪い!選択する自由なんかあるものか!」
そう思っている方に、ヴィクトール・フランクルを紹介します。
ヴィクトール・フランクルはオーストリアの精神科医・心理学者であり、
ユダヤ人でした。
第二次世界大戦中、フランクルはナチスに囚われ、収容所に送られます。
妹以外の家族は全員収容所でなくなり、フランクル自身も拷問を受け続けました。
しかし、そのようなこの世の地獄でも、
彼から選択する自由を奪うことはできなかったのです。
あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して
自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。
ヴィクトール・フランクル
もしかするとあなたは落ち込んでいるのかもしれません。
自分の今の状況を作り出したのは、他ならない自分であることに。
でもこうは考えられませんか?
自分の今の状況を作り出したのが自分であるのなら、
今の状況を変えることができるのもまた自分であると。
いきなりすべてを変えることは難しいです。
ですが、あなたはすでに行動を選択する自由が常にあることを知っています。
つらい現実や誘惑に負けそうになったときにこそ、その自由を思い出してください。
そして少しずつで良いから、あなた自身の主人に近づいていってください。